豪州映画『危険な年』(1982) [豪州映画]
この『危険な年』(The Year of Living Dangerously, 1982)は、私にとって忘れられない作品の一つです。私が豪州の作品と意識して映画を見始めたのは、初来日したピーター・ウィアー監督の講演を聴きに行ってからのことです。彼が豪日交流基金の招きで来日したのは1983年4月の下旬でした。霞が関(東京)の「日本プレスセンターホール」で、27日の夜に『オーストラリア映画産業の発展』と題して講演が行われたのです。ちょうど『危険な年』が発表された直後で、この作品のビデオ・クリップも紹介されました。そのような訳で、私の豪州映画への接触はウィアー監督の初来日の年から始まり、翌84年に『危険な年』が、そして86年に『ピクニック at ハンギングロック』(1975)が日本で劇場公開されたときには、しっかりとチェックして観ることができたのです。

↑ ↑ DVD(左)、劇場用チラシ(右)
舞台は、1965年のスカルノ政権末期のインドネシアである。それまで独裁的な政権を握ってきたスカルノ大統領の力もさすがに衰えてきて、共産主義者やイスラム勢力が絡み合って対立する不穏な空気がインドネシアを覆っていた。そんな政情不安定なジャカルタに、オーストラリア人ジャーナリストのガイ・ハミルトン(メル・ギブソン)が赴任する。彼は中国系オーストラリア人のカメラマン、ビリー・クワン(リンダ・ハント)と知り合う。二人はコンビを組んで、特ダネを本国に送るようになる。ビリーはまた、英国大使館の秘書ジル・ブライアント(シガニー・ウィーバー)をガイに紹介し、二人は恋に落ちる。けれども、ガイは特ダネを追うあまりに身の危険にもさらされるようになり、インドネシアからの脱出を余儀なくされるのである。
この映画は、脚本も担当しているオーストラリア人作家C・J・コッシュ(1932- )の小説をベースに作られています。映画の前半部分は、当時のインドネシアの政治状況に疎いとわかりにくいのですが、動乱のインドネシアからガイが脱出しようとする後半部分はスリリングに描かれていて、手に汗を握る展開が楽しめるかとも思います。
ただ、劇場公開された1984年に観たときと、その後にDVD(ビデオ)で観直したときの印象とがかなり違ってきたのも事実です。ガイとジルが互いに惹かれあっていく描写にも粗さが目立ち、特ダネをものにしたいが為にガイがとる行動と、それによって彼自身の命が危険にさらされるスリリングな描写にも、映画館で観たときほどの迫力が感じられなかったのです。これは、その後の完成度の高まったウィアー作品と比較してしまうからなのでしょうか。けれども改めてこの映画を観たとき、この映画(原作となっている小説)の本当の主人公は誰なのかということを考えるようにもなったのです。
ところで話は少し脇道にそれるのですが、米国の作家マーガレット・ミッチェル(1900-49)の小説を映画化した『風と共に去りぬ』(1939)を知らない人はおそらくいないでしょう。この米国映画の大作は世界中で大ヒットして、今日まで繰り返し上映され続けてきています。実は、この『風と共に去りぬ』の豪州版ともいわれる小説が存在していました。それは、コリン・マカロック(1937- )によって1977年に発表された『ソーン・バーズ』という小説で、豪州はもとより英米でも大ベストセラーになったのです。
アウトバックと呼ばれる豪州内陸部で牧場を営むクリアリー家の一人娘メギーと、その牧場を管轄下に置くカトリック教区の神父ラルフ・ド・ブリカサールとの生涯にわたる恋愛長編小説です。そして、この小説も映画化の話が持ち上がり、『ピクニック at ハンギングロック』や『ザ・ラストウェーブ』(1977)で豪州映画界に名前を知られるようになっていたウィアーに、監督の話が持ちかけられたのです。この話に彼も初めは乗りかけたのですが、結果として監督を断りました。その理由はシナリオが気に入らなかったからで、ウィアー自身の言葉によれば「あまりにもメロドラマ的過ぎる」ということなのでした。
振り返ってみれば、男女の恋愛を扱ったウィアー監督の作品は多くありません。ここで取り上げる『危険な年』と、米国で作られた『刑事ジョン・ブック/目撃者』(1985)、そして『グリーン・カード』(1990)のみでしょう。そして、それぞれの作品では主人公の恋愛物語と並行して、『危険な年』ではインドネシアのスカルノ政権末期の政治状況が、『刑事ジョン・ブック/目撃者』ではアーミッシュの世界観が、『グリーン・カード』ではタイトルが示すグリーン・カードに絡んだ米国の移民受け入れ政策が重要な背景になっていて、いずれも恋愛物語だけに絞った作品ではないのです。

↑ ↑ ガイとジル(左)、騒乱のジャカルタ市内でのガイ(右)
さて話を本筋に戻して、この映画『危険な年』の主人公は誰なのかを考えてみましょう。一見するとガイとジルのように思われますが、原作者であり脚本も担当しているコッシュの意図やウィアー監督の関心ある分野から推測すると、ナレーター役でガイとコンビを組むカメラマンの中国系オーストラリア人ビリー・クワンと考えられるのです。彼は自らの身体に受け継がれたアジアと西欧の血の狭間にあって、インドネシアという国でどのように生きていくかを模索しています。すなわち、この映画でウィアーが描きたかったのは、アジア(インドネシア)と西欧(豪州)という異なる世界観の間で揺れる中国系オーストラリア人ビリーの心の葛藤であると思われるのです。ちなみに、この映画の背景となる1965年の豪州はベトナムに派兵した年で、ベトナム戦争後のボートピープルに代表される難民が大量流入する以前であり、白豪主義の残滓(ざんし)も引きずっていて、西欧の一部と見なされていたのです。
ウィアー監督はビリーの心の葛藤を映像化するために、インドネシアの伝統芸能であるワヤン(影絵芝居)を巧みに取り入れています。このワヤンが重要な役割を担っているのは、冒頭からガムラン音楽が流れて、影絵芝居が演じられている場面で始まることでも推測できます。ワヤンについては古代インドから伝わったとされる説や、ジャワの神話や祖先信仰がヒンドゥー教と結びついて、歴代の国王が自らの祖先の物語を付け加えながら祖先崇拝の儀式として上演してきたという説など、渾然一体となって今日に至っています。影絵の投影用のスクリーンは目に見える現実の世界であり、影絵に使われる人形は神の創造物を象徴し、背後で演奏されるガムラン音楽は現世で起こるすべての事象の調和を表しているといわれています。そして人形操者は人形に生命を与えて、すべてを意のままに操ることのできる神の化身であり、人間の運命はすべて神の意中にあることを表しているというのです。
このワヤンに、ビリーは格別な関心を寄せています。彼はジャワ(インドネシア)を理解するにはワヤンを知ることだとガイに話します。ビリーはワヤンを現実世界に取り入れて、神の化身である人形操者になりきろうとしていたのではないでしょうか。彼は自らが関心を抱く人物の詳細なデータを集めてファイルを作り、現実世界のなかで彼らを自らの思い通りに動かそうとしていたと思われるのです。
まず、ガイの場合・・・。ビリーは以前にジルにプロポーズをするが断られ、自分が実現できなかったジルとの関係を、分身に見立てたガイを通して成就させようとします。ガイとジルはビリーの演出通りに互いに惹かれあっていくように見えます。そのようななかで、ジルは自らが得た極秘情報をガイに漏らします。PKI(インドネシア共産党)の武器を積んだ船がインドネシアに向けて出航するという情報です。彼女にしてみれば、また二人を操っていると思っていたビリーにしてみれば、PKIが武装蜂起してイスラム教徒との内乱になる可能性があるジャカルタからガイが脱出することを望んでのことでした。ジルにとっては、愛するガイの命を救いたい為の行動であったのです。けれどもガイは、ジルやビリーの意に反して特ダネをものにしたいが為に、そのネタの裏を取ろうとして動き回り、自らの命ばかりではなくジルの立場をも危うくさせてしまうのです。
また、ジャカルタの貧民地区に住む母と子供の場合・・・。母親である女性をビリーは養子にして、母子の面倒をみています。その息子は重篤の病に罹っており、ビリーは彼女に医者に診てもらうことを強くすすめます。けれども、その子供はビリーの意に反して亡くなってしまうのです。
そして、大統領スカルノの場合・・・。初め、ビリーはスカルノの政策に期待していました。けれども貧民地区の人々の生活は、彼の期待通りには一向によくなりません。ビリーは自らが信頼を寄せていた、あるいは愛情を注いでいたと思っていた人々が、ワヤンの人形のように思い通りには動いてくれずに、心のなかに動揺が広がっていきます。そして、自らの思うようにならない苛立ちを増幅させて、スカルノへの抗議のメッセージを掲げながら命を落としてしまうのです。
ビリーはアジアと西欧の異なる世界観の狭間で葛藤していました。西欧の価値観を代表するキリスト教は唯一絶対の神を戴く世界観ですが、ワヤンで描かれる世界では絶対という価値観はなく、森羅万象のものすべてが流動的なのです。神の化身である人形操者だと思い込んでいたビリー自身が、いつの間にか操られる人形になってしまっていたのです。けれども西欧的価値観も持ち合わせていた彼は、自分がいつまでも神の存在、すなわち人形操者であり続けられるとも思っていました。そのような異なる世界観のギャップのなかで、彼の心は破綻してしまったといえるのではないでしょうか。一般に西欧の人たちがアジアを舞台にして映画を作るときに、エキゾチシズムを前面に出す傾向が強くなります。ウィアー監督がビリーという混血の中国系オーストラリア人を通して、西欧とは異質なアジアのなかに一歩でも深く足を踏み入れて映画を作ったことは評価できると思うのです。
さらに、この映画の見どころの一つを挙げるとすれば、1965年のインドネシア国内の混乱状況を、マニラ(フィリッピン)のイスラム教徒地区とシドニーをロケ地として、6,000人といわれるエキストラを動員して忠実にドキュメンタリータッチで映像化していることでしょう。ただ、当時のインドネシアの複雑に絡み合った政治状況・・・、スカルノ政権とPKI、そしてイスラム教徒勢力の対立構造についての事前の知識なしで映画を観ると理解しにくいのが難点です。その取っ付きにくさをやわらげるかのように、ガイとジルの恋愛模様を前面に出して娯楽性も高めているともいえましょう。ただ、この文章の冒頭にも述べましたように、二人の惹かれあっていく過程の描写には緻密さが欠けているように感じられるのが残念なのです。
最後に、ジル役のシガニー・ウィーバーの女性らしさ、そして美しさがひときわ強く印象づけられたのは、『エイリアン』シリーズでの彼女の男まさりの役を見続けてしまったせいでしょうか。またメル・ギブソンのファンにとっては、ガイを演じる彼の若々しいスリムな容姿を見ることができるのがたまらない魅力となるに違いありません。そして、女優であるリンダ・ハントが男役として、ビリーの特異なキャラクターを好演しているのも見ものです。ちなみにハントは、この作品で1984年のアカデミー助演女優賞を獲得しています。
●作品データ 『危険な年』(The Year of Living Dangerously, 1982)、製作国:オーストラリア/上映時間:117分(カラー作品)/劇場公開:1984年 [スタッフ] 製作:ジム・マッケルロイ/監督:ピーター・ウィアー/原作:C・J・コッシュ/脚本:ピーター・ウィアー 他/撮影:ラッセル・ボイド/音楽:モーリス・ジャール [キャスト] ガイ・ハミルトン:メル・ギブソン/ジル・ブライアント:シガニー・ウィーバー/ビリー・クワン:リンダ・ハント/ヘンダーソン大佐:ビル・カー/ピート・カーティス:マイケル・マーフィー/クーマー:ベンボル・ロコ/スカルノ:マイク・エンペリオ [DVD販売元] ワーナー・ホーム・ビデオ/2002年/2,500円(税込) [おすすめ度] ★★★☆☆
◆オーストラリアン・シネマ・スペース : 作品データ『危険な年』 ⇒ http://www016.upp.so-net.ne.jp/kangaroo/the_year_of_living_dangerously-data.html








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